あと2週間もすれば松葉杖とお別れだ。きっとね。
寂しいもんだねー。
まー、ゆっくりできてよかったよー。
前回の怪我とあまり違わないかとおもったが、やっぱり今回の方がちょっとひどいかもしれないなー。
怪我した直後に今回はびっこを引いたけど、前回は普通にあるいていた。
ちょっと痛いかなという程度だったよ。
しかし、患部の痛みもあるが、脹脛の痛みが予想外だった。
ギブスが取れ晴れ晴れした顔で帰ってきた夜、ベットで全身ののびをしたら、左足の脹脛に痛みがはしった。
“つる”とかいう痛みが脹脛全体ににぶく広がり、長続きする。
しばらくすると、ある一部に痛みがのこり、他の痛みは消える。
その後、のびをする時以外に自宅で松葉杖なしで歩く場合に左の脹脛の筋肉を使う時に同じような痛みが走る。
なので、恐る恐るあるいたよー。
(歩くという状態にはほど遠いが)
えーーーん。
筋肉を使わないとこうなるのか・・・。
以前TVで医師がこう言ってたのを思い出す。
「歩けるけど歩かないといっている人は、そのうち本当に歩けなくなります。恐いですよ」
動かせる筋肉は動かそう・・・。
心には、足が治ったら早朝散歩(in土手)を考えている。
今日は4時におきたもんねー。(その後寝たけど・・・えへへ)
4月後半から5月頭に、「ゆっくり瞑想する時間が欲しい。」「朝早起きしたい。」といった願いがあった。
そのテーマでフラワーエッセンスの遠隔リーディングを申し込んでいた。
また、そのちょっと前にペニーピアスという方の講演会に行き、こういうことを聞いた。
「自分が願う環境・状況(心から願っていること)がしばらく立ってからかなっていることがある。しかしその時には自分のその時の願いを忘れているので、なんでいまこうなのーと理不尽におもっていることがある」
ここで例えでペニーの体験談があった。
この人は「直感を信じる」(確かこんな感じ)という本で、アメリカで成功している人なのだが、ある時期まったくオファーがなく、「どうして電話がならないの!!!」と焦った時があった。
しばらくして自分のこころを見つめたたら、数ヶ月前に「本を書きたいのでその時間が欲しい」と願ったことを思い出した。「オファーがない今こそ本を執筆したいと願った自分に与えられた時間だ!」と気付いたそうだ。
ここで私に置き換えてみると、ハワイに行く1ヶ月前にそれを願っていた。
ハワイにいく最大の目的も「ぼーっとゆっくりする。ハワイの癒しのパワーからなにか気付く。」だった。
なので、ハワイ4日目で怪我をしても「ゆっくりするように」ということだったのかなーと思った。
身体が動けるなら、「動くことを前提」に考える。
身体が動けないのだから、「動けないことを前提」に物事を進めるものね。
最小限のことしかしなくなる。
日頃バタバタちょこちょこしがちなので。。。
しかし、実際動けないと「動きたい」「外出したい」といった欲求が前面に出てくるので、5月頭にした願いも忘れがちになる。
ベットに横になって瞑想するので途中で寝ちゃうんだよねー。えへへ。
普通に暮らすってとっても幸せなんだなー。
外からの影響やストレスがなく、何事からも焦るようなこともなく、家事も全くせずにいるこの期間ってとっても幸せだ。
自分の内面をじっくりみれるね。
こういった時期って今までの人生ではじめてかもしれない。
こういう時間を意識的にもち、自分の今の状況を確認することで道を誤らないのかもしれない。
(自分を見失わないってこと)
1日に10分でも、1週間に一度でも、1ヶ月に一度でももつようにしたい。
今度はこういう願いを心からするのだ!
寂しいもんだねー。
まー、ゆっくりできてよかったよー。
前回の怪我とあまり違わないかとおもったが、やっぱり今回の方がちょっとひどいかもしれないなー。
怪我した直後に今回はびっこを引いたけど、前回は普通にあるいていた。
ちょっと痛いかなという程度だったよ。
しかし、患部の痛みもあるが、脹脛の痛みが予想外だった。
ギブスが取れ晴れ晴れした顔で帰ってきた夜、ベットで全身ののびをしたら、左足の脹脛に痛みがはしった。
“つる”とかいう痛みが脹脛全体ににぶく広がり、長続きする。
しばらくすると、ある一部に痛みがのこり、他の痛みは消える。
その後、のびをする時以外に自宅で松葉杖なしで歩く場合に左の脹脛の筋肉を使う時に同じような痛みが走る。
なので、恐る恐るあるいたよー。
(歩くという状態にはほど遠いが)
えーーーん。
筋肉を使わないとこうなるのか・・・。
以前TVで医師がこう言ってたのを思い出す。
「歩けるけど歩かないといっている人は、そのうち本当に歩けなくなります。恐いですよ」
動かせる筋肉は動かそう・・・。
心には、足が治ったら早朝散歩(in土手)を考えている。
今日は4時におきたもんねー。(その後寝たけど・・・えへへ)
4月後半から5月頭に、「ゆっくり瞑想する時間が欲しい。」「朝早起きしたい。」といった願いがあった。
そのテーマでフラワーエッセンスの遠隔リーディングを申し込んでいた。
また、そのちょっと前にペニーピアスという方の講演会に行き、こういうことを聞いた。
「自分が願う環境・状況(心から願っていること)がしばらく立ってからかなっていることがある。しかしその時には自分のその時の願いを忘れているので、なんでいまこうなのーと理不尽におもっていることがある」
ここで例えでペニーの体験談があった。
この人は「直感を信じる」(確かこんな感じ)という本で、アメリカで成功している人なのだが、ある時期まったくオファーがなく、「どうして電話がならないの!!!」と焦った時があった。
しばらくして自分のこころを見つめたたら、数ヶ月前に「本を書きたいのでその時間が欲しい」と願ったことを思い出した。「オファーがない今こそ本を執筆したいと願った自分に与えられた時間だ!」と気付いたそうだ。
ここで私に置き換えてみると、ハワイに行く1ヶ月前にそれを願っていた。
ハワイにいく最大の目的も「ぼーっとゆっくりする。ハワイの癒しのパワーからなにか気付く。」だった。
なので、ハワイ4日目で怪我をしても「ゆっくりするように」ということだったのかなーと思った。
身体が動けるなら、「動くことを前提」に考える。
身体が動けないのだから、「動けないことを前提」に物事を進めるものね。
最小限のことしかしなくなる。
日頃バタバタちょこちょこしがちなので。。。
しかし、実際動けないと「動きたい」「外出したい」といった欲求が前面に出てくるので、5月頭にした願いも忘れがちになる。
ベットに横になって瞑想するので途中で寝ちゃうんだよねー。えへへ。
普通に暮らすってとっても幸せなんだなー。
外からの影響やストレスがなく、何事からも焦るようなこともなく、家事も全くせずにいるこの期間ってとっても幸せだ。
自分の内面をじっくりみれるね。
こういった時期って今までの人生ではじめてかもしれない。
こういう時間を意識的にもち、自分の今の状況を確認することで道を誤らないのかもしれない。
(自分を見失わないってこと)
1日に10分でも、1週間に一度でも、1ヶ月に一度でももつようにしたい。
今度はこういう願いを心からするのだ!
最近、ソウルナビケーションを再読した。
私は、「怖れや疑いで自分を束縛することをやめる。そして人との絆を感じ、平和な心を手に入れること。」が必要らしい。
基礎となるのは、極端な自立と依存のアンバランスな状態を、安定にもっていくことだった。
他者との依存関係のバランスを保ち、自分の欲求・目的を認め、かなえつつ、他者とのコミュニケーションのバランスをとることなのかなーと思った。
当てはまるなぁ。
去年読んだ時は、ハテナ?という部分もあった。
今回は90%理解できた。
<アドヴァイス>
・瞑想や洞察によって、内面にある理性が生み出す、さまざまな制限の鎖を断ち切らなくてはならない。(ハワイ旅行で、類似したことに気付いたわー)
・広く浅くの経験ではなく、一つのことを深く追求し、経験すること。(ナルホド。器用貧乏な私にぴったり。。。とりあえず、連続して行うことからはじめた方がいいらしい。それにはスポーツがいいらしい。確かに3ヶ月が限度だった。)
こころのおーーーくそこに、潜むもの。
それが見えたような気がする。
そして、OSHOの禅タロットを引いた。
今の私のキーワードは、『独りあること(ALONENESS)』(By OSHO)
寂しさ=他者の不在が自分の中にある。寂しい時誰かのこと(まだ見ぬ人かもしれないし、現実の人かもしれない)を考える。相手がいなくて寂しいのだ。寂しさはネガティブな状態。誰か相手が今ここにいたらよかったのに、その相手はいない。
独りあること=自己の現存。ひとりあることは非常にポジティブだ。それは現存、あふれでる現存なのだ。あなたはあまりにも現存に満ち溢れているので、自己の現存で全てを満たすことができるし、誰かを求める必要もない。
生きるということにおいて、「大切な他者」がいないときは、寂しくなるかそれとも孤独がもたらす自由を楽しむか、そのどちらかが可能です。
暗闇を進む自分たちの道をつくる能力を、私達ひとりひとりが自分の内面で開発しなければならないのです。
私は、「怖れや疑いで自分を束縛することをやめる。そして人との絆を感じ、平和な心を手に入れること。」が必要らしい。
基礎となるのは、極端な自立と依存のアンバランスな状態を、安定にもっていくことだった。
他者との依存関係のバランスを保ち、自分の欲求・目的を認め、かなえつつ、他者とのコミュニケーションのバランスをとることなのかなーと思った。
当てはまるなぁ。
去年読んだ時は、ハテナ?という部分もあった。
今回は90%理解できた。
<アドヴァイス>
・瞑想や洞察によって、内面にある理性が生み出す、さまざまな制限の鎖を断ち切らなくてはならない。(ハワイ旅行で、類似したことに気付いたわー)
・広く浅くの経験ではなく、一つのことを深く追求し、経験すること。(ナルホド。器用貧乏な私にぴったり。。。とりあえず、連続して行うことからはじめた方がいいらしい。それにはスポーツがいいらしい。確かに3ヶ月が限度だった。)
こころのおーーーくそこに、潜むもの。
それが見えたような気がする。
そして、OSHOの禅タロットを引いた。
今の私のキーワードは、『独りあること(ALONENESS)』(By OSHO)
寂しさ=他者の不在が自分の中にある。寂しい時誰かのこと(まだ見ぬ人かもしれないし、現実の人かもしれない)を考える。相手がいなくて寂しいのだ。寂しさはネガティブな状態。誰か相手が今ここにいたらよかったのに、その相手はいない。
独りあること=自己の現存。ひとりあることは非常にポジティブだ。それは現存、あふれでる現存なのだ。あなたはあまりにも現存に満ち溢れているので、自己の現存で全てを満たすことができるし、誰かを求める必要もない。
生きるということにおいて、「大切な他者」がいないときは、寂しくなるかそれとも孤独がもたらす自由を楽しむか、そのどちらかが可能です。
暗闇を進む自分たちの道をつくる能力を、私達ひとりひとりが自分の内面で開発しなければならないのです。
すべての扉を開けるのは愛です。
愛するということがどういうことかわかりますか?
心を満たす歓びと感謝の気持ちがあまりにも大きくて、
自分の心に収まりきれず、
まわりの人すべてにあふれ出してしまうというのが、
どんなことだかわかりますか?
---アイリーン・キャディの{心の扉を開く}
愛するということがどういうことかわかりますか?
心を満たす歓びと感謝の気持ちがあまりにも大きくて、
自分の心に収まりきれず、
まわりの人すべてにあふれ出してしまうというのが、
どんなことだかわかりますか?
---アイリーン・キャディの{心の扉を開く}
● 霊的に目覚めるという事は、自分自身の内面に触れる事であり、自分自身の内面の深い部分の声を聞くという事です。
一体どのようにすれば、自分自身の内面を深く捉え、そこから気づきを得て成長する事が出来るのでしょう?
まず最初に様々な答えを外に探す事を止めて、内に入る事です。これには冥想も有効ですし、様々な内面を見るワークショップに参加する事も可能です。
自分自身の制限を知るには、自分自身が何に“拒絶反応”を示すのか?を知らなければなりません。
通常の場合はあなたの周囲に存在する身近な人々がそれを鏡の役割として見せてくれているはずです。
何故なら、あなたから見る外の世界というのは、全てあなたの式の反映するリフレクションだからです。
他人を簡単に判断する前に、自分自身の中にそれを取り込んで、ます自分自身に同じような部分がないかを省みてください。そして何かに気づいたのであれば、それを変化させるために、自分自身に忍耐強くあり、自分自身の魂の望む方向へ導く事です。
外界で争うという事は、内面で争っている事と対峙しているのです。
外界を癒す事に参加するという事は、内面を癒す事に対峙するのです。
●もしあなたに充分に発達したテレパシックな能力や透視の能力があるのであれば、自分の力で様々な情報をスピリチャルな世界から手に入れる事が出来るでしょう。
単純にそのような能力があれば、目に見えないスピリチャルな世界の方々を師として様々な事柄を学ぶ事が出来ます。
過去の偉大なヒーラーやネイティブの祈祷師や治療師の多くは、彼等のその発達した霊的なコミュニケーションの技術によって、目に見えない世界から様々な情報を手に入れていたのです。
また手法や人物をみわけるポイントとしては、その人の波動を感じる事です。またその人の周囲に集まる人々の波動も感じてみてください。
あなたがその手法や人物に開かれたものを感じるのであれば、さほど疑いを持たずに何かを学ぶ事が出来るでしょう。
重要な事は、世の中には測り知れない程のヒーラーがいて、その人それぞれに存在する理由がある事を覚えておいてください。
中には人々に疑問や疑惑を与える役割の種類の人々もいるという事です。
仮にそのような人々に出会ったとしても、そこからも様々な事を学ぶ事が出来ます。
重要な事は心を開いて、あなたの愛の部分を開いて関わってゆく事です。
あなたは変な宗教にはまったり、悪い影響をうけ、そちらの方にはまりこんでしまうのは避けたいと言っています。
覚えておいてください。人をコントロールする類いのものにはある種の波動やエネルギーの感じがあります。
単純な話し、あなたがそれらの事柄に気持ち良く感じないのであれば、近づかないか、ハッキリとノーと言う勇気を持つ事です。
またその人の周囲に人々が集まっているときに、その周囲の人々がその人の中にある愛の部分から集まっているのか、それともその人の能力がうえに集まっているのかを見る事です。
あなたは人生を選ぶ事が出来るように、そのような事柄との接触の中で、それらを自分の生活の中に入れるのか、入れたく無いのかを選択する事が出来ます。ですからしっかりと自分自身を持って、目を開いて、心を開いて周囲を見渡す事です。
一体どのようにすれば、自分自身の内面を深く捉え、そこから気づきを得て成長する事が出来るのでしょう?
まず最初に様々な答えを外に探す事を止めて、内に入る事です。これには冥想も有効ですし、様々な内面を見るワークショップに参加する事も可能です。
自分自身の制限を知るには、自分自身が何に“拒絶反応”を示すのか?を知らなければなりません。
通常の場合はあなたの周囲に存在する身近な人々がそれを鏡の役割として見せてくれているはずです。
何故なら、あなたから見る外の世界というのは、全てあなたの式の反映するリフレクションだからです。
他人を簡単に判断する前に、自分自身の中にそれを取り込んで、ます自分自身に同じような部分がないかを省みてください。そして何かに気づいたのであれば、それを変化させるために、自分自身に忍耐強くあり、自分自身の魂の望む方向へ導く事です。
外界で争うという事は、内面で争っている事と対峙しているのです。
外界を癒す事に参加するという事は、内面を癒す事に対峙するのです。
●もしあなたに充分に発達したテレパシックな能力や透視の能力があるのであれば、自分の力で様々な情報をスピリチャルな世界から手に入れる事が出来るでしょう。
単純にそのような能力があれば、目に見えないスピリチャルな世界の方々を師として様々な事柄を学ぶ事が出来ます。
過去の偉大なヒーラーやネイティブの祈祷師や治療師の多くは、彼等のその発達した霊的なコミュニケーションの技術によって、目に見えない世界から様々な情報を手に入れていたのです。
また手法や人物をみわけるポイントとしては、その人の波動を感じる事です。またその人の周囲に集まる人々の波動も感じてみてください。
あなたがその手法や人物に開かれたものを感じるのであれば、さほど疑いを持たずに何かを学ぶ事が出来るでしょう。
重要な事は、世の中には測り知れない程のヒーラーがいて、その人それぞれに存在する理由がある事を覚えておいてください。
中には人々に疑問や疑惑を与える役割の種類の人々もいるという事です。
仮にそのような人々に出会ったとしても、そこからも様々な事を学ぶ事が出来ます。
重要な事は心を開いて、あなたの愛の部分を開いて関わってゆく事です。
あなたは変な宗教にはまったり、悪い影響をうけ、そちらの方にはまりこんでしまうのは避けたいと言っています。
覚えておいてください。人をコントロールする類いのものにはある種の波動やエネルギーの感じがあります。
単純な話し、あなたがそれらの事柄に気持ち良く感じないのであれば、近づかないか、ハッキリとノーと言う勇気を持つ事です。
またその人の周囲に人々が集まっているときに、その周囲の人々がその人の中にある愛の部分から集まっているのか、それともその人の能力がうえに集まっているのかを見る事です。
あなたは人生を選ぶ事が出来るように、そのような事柄との接触の中で、それらを自分の生活の中に入れるのか、入れたく無いのかを選択する事が出来ます。ですからしっかりと自分自身を持って、目を開いて、心を開いて周囲を見渡す事です。
コメントをみる |

フラワーエッセンスの講師のお一人にインドとチベット仏教の造詣の深い方がいらっしゃって、仏陀の話がかいている本のコピーをくれた。
3つことが大切だという。
・ありのまま(でいる)
・理解は瞬時におこる。
・二ではない。(物事は1つだということ)
ひとつづつの説明は私が書くことによってぶれてしまうので辞めておく。
ひとつづつの章を読んでいて、なにかとても身にしみるよ。
今までの私の短い歴史、現在起こっていることを省みながら残りを読んでいます。
理解できること・取り入れられることを探していく。
「我を落とす」というのは、レベルに差があり過ぎるので、自分が理解できたらその都度やればよいのだ。
まだちょっとしか読んでないけど、成るほど納得という文があった。
後悔して考えて疲れてしまうことが良くあるが、それはなぜかと説明している。もちろんこんなに簡単じゃない。本では夫婦の間で妻が他の♂に愛を抱いてしまい、夫が取り残されてるという例で話している。どうして夫が不安におもうのか、などが具体的に書いてあってとても面白かった。
----------------------------------------------
反省は大事だけど、意味のない後悔で時間を過ごすのは、無駄だ。
後悔がなぜおこるか。
それは、起こったことを自分が受け入れてないからだ。
なにか変わるだろう、もとに戻るだろうという望みをもっているので思ったことを受け入れられない。
それが過去になればなるほど、現在の自分に重くのしかかってくる。
現在の自分を生きられない。
----------------------------------------------
3つことが大切だという。
・ありのまま(でいる)
・理解は瞬時におこる。
・二ではない。(物事は1つだということ)
ひとつづつの説明は私が書くことによってぶれてしまうので辞めておく。
ひとつづつの章を読んでいて、なにかとても身にしみるよ。
今までの私の短い歴史、現在起こっていることを省みながら残りを読んでいます。
理解できること・取り入れられることを探していく。
「我を落とす」というのは、レベルに差があり過ぎるので、自分が理解できたらその都度やればよいのだ。
まだちょっとしか読んでないけど、成るほど納得という文があった。
後悔して考えて疲れてしまうことが良くあるが、それはなぜかと説明している。もちろんこんなに簡単じゃない。本では夫婦の間で妻が他の♂に愛を抱いてしまい、夫が取り残されてるという例で話している。どうして夫が不安におもうのか、などが具体的に書いてあってとても面白かった。
----------------------------------------------
反省は大事だけど、意味のない後悔で時間を過ごすのは、無駄だ。
後悔がなぜおこるか。
それは、起こったことを自分が受け入れてないからだ。
なにか変わるだろう、もとに戻るだろうという望みをもっているので思ったことを受け入れられない。
それが過去になればなるほど、現在の自分に重くのしかかってくる。
現在の自分を生きられない。
----------------------------------------------