心の平穏
2004年1月9日今日はいろいろあって疲れた。
1.自己責任
2.自分と自分以外の人との関わり方
1.自己責任
「自分の為した行為には、社会的責任が発生する。」
一つ先のことを予想して、行動を起す・生活すると失敗はかなり防げるそうだ。
自己責任を取れない人は信用されない。
そして、自分以外の自己責任を一時の感情で負うようなことは、「智慧のない行動・愛・情」であり、自分・自分の家族・当事者にとって近未来において不幸・障害をもたらす。
自己責任は、自分も他人もしっかり意識しないと社会生活を滞りなく過ごすのは困難だ。
自分だけだったら自己責任を取ることに(今のところ)難しくはいが、人にそれをさせるのは困難だ。
疲れた。
2.自分と自分以外の人との関わり方
自分以外の人。他人と書くととても寂しいのでそう書いた。
親、姉弟、親戚、親友、友人、会社の同僚、知人etc.
大人になったので、社会的責任と自立が求められる。
自分の生活を守る=精神の安定
を保つ為に、係わり合いに線をもたなければならない。線をなくせば、相手は線を越してくる。それはお互いを不幸にする。個々人、精神的に自己の確立をすると何が幸せかが見えてくるだろう。突き放すのは辛い。べったりの方が楽な時もある。
一つ先の未来を考えて行動することが、『智慧のある愛情』なのかもしれない。
今日は本当に疲れた。
どうしてこんなことが起こるのか。
でもそれは偶然ではなく必然なのだ。
それに関わった全ての人が、なんらかしらのことを自分の血肉にするために、関わったのだと思う。
私もそうだ。
そこから自分の性質を目の当たりにしなくてはならないし、今後の行動も見定めなければならない。
面倒な嫌な事(何度も繰り返していること)には、関わりたくない。
それを止めるのを何度もやっているけれど、真剣さが足りなかったのか。
それとも去年からよく言われているように早く自分の家庭をもつことなのか。家庭をいつ持つかはわからないが、今私に起こっていることは血肉になってるはずだ。では、なにが血肉になっているのか。
自分の生きていく上での、人との関わり方 いいかえれば自分の領域はここだとうい考えをもち、それに責任をもって生きていくことだろう。
自分の一番望んでいる姿は、日々の経験によって変化していくだろう。しかし、芯はかわらない。心も変わらない。
人は皆、自分の中で葛藤して生き続けるのだろう。
平穏は心の中にしかない。
弟 そして母 一日も早く気付いて欲しい。
気付かなくてもいい。
幸せを感じて生きて欲しい。
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